ケルトの昔 

ケルト人は中央アジアの草原から、馬と車輪付きの戦車を持ってヨーロッパに渡来した、インド・ヨーロッパ語派の民族である。ローマ人からはガリア人と呼ばれた。、
ケルト人は青銅器時代に中部ヨーロッパに広がり、その後、鉄器時代初期にかけて、当時欧州の文明の中心地であったギリシャの影響の下、更に鉄器文明を発展させた。
ケルトの社会は鋭利な鉄製武器を身に付け、馬に引かれた戦車に乗った戦士階級に支配された。欧州各地に分立していた。彼らは南欧の文明社会と交易を行い、その武力によって傭兵として雇われることもあった。
ケルトは、ケルト語で「戦闘」の意味であり、ケルト人はみずからを「戦う民族」とみなしていた。背が高く、金髪もしくは赤毛、色白で碧眼。
好戦神話やドルイド教の輪廻転生を信じており、ローマ人も恐れる勇猛さであった。戦士は、裸で顔を緑に塗っていたといわれる。
文字を持たず、略奪の放牧民族であり、統一国家は作らなかった。

島のケルト

大陸のケルトがローマに負けて消滅後、ケルト民族は移動を続けて、スペインからブリテン諸島へ、アイルランド島へとたどり着きます。紀元前600年から300年ごろの話。定住したケルト民族を「島のケルト」と呼びます。
新石器時代の先住民が大陸ケルトの文化的影響によって変質したとする説もあります。いずれにしてもローマ帝国に征服される以前のブリテン島には戦車に乗り、鉄製武器をもつケルト部族社会が展開していました。
その後、カエサルの遠征やアングロサクソンの移動があり、ケルトは押し詰められます。それらローマやアングロサクソンの影響を受けず、現在も純粋な形で、ケルト文化的特色を残しているのは、アイルランドだけです。
ケルトの渦巻文様は、キリスト教とは異なった転生思想と霊魂不滅の考え方が秘められています。
ケルト十字架。普通の十字架に円環を組み合わせたもので、アイルランド、イギリスのコーンウォール、スコットランド、マン島に見られます。聖書の物語と共に、うずまきや曲線などケルト文様が刻み込まれ、高さは7、8メートルありハイクロスとも呼ばれます。
ウィスキーはケルト人が創ったお酒です。ウィスキーという言葉の語源はゲール語で”ウシュク・ベーハ、意味はまさに、”生命の水”。

今、なぜケルト

キリスト教は、すぐれた科学や技術を産み出しました。その一方で自然破壊は進み、人々の価値観が揺らぎ出しもしました。混沌とした世界をどのように生きるか? そこでイギリスの人々は、自分たちの足元にあるケルトに注目したのでした。
ベストセラー『ダ・ヴィンチ・コード』には、男性中心のキリスト教以前の女神信仰が描かれました。
昔、小泉八雲は、日本を「人も物もみな、神秘を称えた妖精の国」と書き記しています。ケルトの物語を聞いて育った八雲。明治の日本人の自然観や美徳、神話など、日本の神秘的な部分に、共通するものを感じ、深く理解しました。
いま、キリスト教に替わるモノとして、求められているのは、八雲の繊細さ、なのではないでしょうか。
現代におけるいわゆる「ケルト人」とは、ケルト語派の言語が話されるアイルランド、スコットランド、マン島、ウェールズ、及びブルターニュの人々である。しかし、ケルト系語を使って日常的生活をする人の数は30%を超えない。
またエンヤの楽曲やリバーダンスなどは世界的に高い評価を受けている。

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